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焼成実験打ち合わせに行きました

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←のブログの説明に書いたような経緯で、とある焼き物の窯の研究の実験に参加することになり、今回はその実験の説明を聞いてきました。
石川県珠洲市にある 『珠洲焼資料館』 の中の研修室(だったかな?)にて行われたのですが、今回集まっていたのは、私や説明している学芸員さん含め8人でした。
今回集まった方たち以外にも、けっこう参加しそうな人はいるようですが、最終的に参加者が何人になるかは、今のところよくわかりません。

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まず、学芸員さんから計画の説明を受けました。

今回の実験の目的は、未だ謎の多い中世に栄えた珠洲焼の窯を、その窯跡の形状や出土品、それからよく似た形態を持つ他の地方の古窯のデータなどから推察し、復元してみようというもの。
そこで、まず今回作ろうとしている窯の形状とその作成方法の説明を、なぜそう考えられるかということを交えながら説明してもらいました。

それから、計画の日程についての説明。
今回の日程案は大まかなものであり、多少遅れてもかまわないとのことでした。
とはいえ、基本的にそのスケジュール通り計画は進行するでしょうし、早ければ今回の実験の第一段階は11月17日には終了する予定です。
万が一遅くなった場合でも、今年いっぱいには終えるでしょう。

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出土した発掘品なども見せてもらいましたが、窯の上部のおそらくドーム状になっていたであろう部分はほとんど見つかっていないとのこと。
そういうこともあり、正確な材質や形状は現在全くわかっていないに等しいようです。
どうやら、古い窯が劣化し、新たな窯を作ったりするときに再利用したのではないかとのことでした。

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最後に窯作製の予定地を下見に。
写真右上あたりの草ぼうぼうのところに作るとのこと。
けっこう大変そうです。

計画全体を聞いての印象は、なるほどと納得できるもので、全くの素人の私からすればかなり成功率高いんじゃないかと思いました。
ただかなり難しいのではないかという声も聞かれました。
今回の 『珠洲古窯研究会』 のメンバーの半数以上は、プロ若しくはセミプロの陶芸家の方たちなんですが、そういう方たちはむしろその大変さを知っているだけに、不安点も多く感じておられるようでした。

そしてもう1つ言えば、現在珠洲焼は復活し制作活動も意欲的に行われていますが、極論すればそれは現代版珠洲焼であるということが挙げられると思います。
実際先程書いたとおり、古窯の正確な形状も材質も未だ不明であり、その技術も完全に途絶えていたわけですから。
と書いてしまうと、現在の珠洲焼が珠洲焼ではないと言っているように聞こえてしまうかもしれませんが、決してそうではありません。
ただ今回解明を目指す目的とは違う次元にあり、言うなれば最新技術により進化した珠洲焼であると言った方が近いですかね。

つまり、陶芸家の方たちにとっても今回の実験は未知の世界であり、そういう意味で不安点が出てくるのでしょう。
例えば、今回の計画では土で窯を作るんですが、現在の珠洲焼の窯は全て耐火レンガで作られており、それ1つとってもプロと言えども初体験になるわけです。

てなわけで、陶芸に深く関わっている方ほど多くの不安点を口にし、逆に全くの素人ほど楽天的に考えているような状況です。
かく言う私は、素人サイドの再右翼なので完璧な計画で成功間違いなしと思っています(笑)。
ただちょっと不安に感じたことがあるとすれば、技術的なことではなく、その日程についてくらいですね。
土日ごとに集まってヤルという計画ですが、ちょっと過密な気がします。
作品の製作以外は屋外での作業になるわけで、天候が不順だったりするだけで進行に支障をきたすのではないかという危惧が…。
まあ、ちょとだけそう感じました。



というような感じで、体験したこと、思ったことを綴っていきたいと思っています。
また、実験が行われていない日にもちょこちょこと珠洲焼についてや、実験の詳細について聞きかじったことを書いていこうと思っています。
軽い気分で見てくだされば幸いです。

なお、もっとしっかり珠洲焼について知りたい方がおられましたら、リンクにある 『珠洲焼資料館』 のHPがオススメです。
珠洲焼に関する書籍等も販売しているようですし、興味のある方はそちらにもどうぞ。


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珠洲焼とは

前回から始まった実験報告ですが、実験の対象である 『珠洲焼』 について簡単に説明したいと思います。

『珠洲焼』 の“珠洲” は地名です。
現在珠洲を名乗ってるのは珠洲市。
知ってる人はそんなにいないんじゃないかと思いますので、まずその説明から。
珠洲市は石川県にあります。
石川県は↓ここです。

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そして、その中の能登半島の先端部分の↓ここに珠洲市があります。

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住めば都でいいところなんですが、いかんせん仕事がないのが玉にキズ。
年々過疎化が急激に進む僻地というのが実状の市です。

そんな珠洲市と旧珠洲郡(現鳳珠郡)で、昔作られていた焼き物が 『珠洲焼』 です。
地名と同じく 『珠洲焼』 もまた一部マニアの方しか知らないんじゃないかと思いますが、以後お見知りおきください(笑)。


珠洲焼の歴史

今回は珠洲焼の歴史を大まかに。

珠洲焼は、12世紀後半(平安時代末期)に生産され始めています。
当時開始され始めた荘園の経営とともに始まった可能性が高いとのこと。
その時に、瀬戸内地方の東播系窯や、東海地方の常滑窯・渥美窯から技術伝播があったものと考えられています。

製品は、海上輸送により広く流通され、14世紀に最盛期を迎えました。
北陸の各地や日本海沿岸の東北、遠くは北海道まで運ばれ、日本列島の1/4を商圏にするまでに至ったそうです。
現在ではハンデとなる半島最先端部という立地条件も、この頃には焼き物という重量物を運ぶのには、海上輸送のしやすさという点で利便性が高かったようです。

しかし、15世紀後半(室町時代後期)には急速に衰退し、まもなく廃絶しました。
戦国の世に入り荘園領主の力が衰え、流通圏が確保できなくなったことと、他の地方の窯の生産性の向上についていけなくなったことがその理由と考えられています。

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珠洲焼の特徴

今回は珠洲焼の特徴について。
正直私も正確に理解してるかはあやしいですが、一応。

珠洲焼は、須恵器の技法を受け継いでいます。
具体的には、粘土紐を巻き上げ、叩きしめて成形し、 「還元炎燻べ焼き」 で焼き上げるカタチです。
「燻べ焼き」 とは、火を止める段階で密閉し酸欠状態にする技法で、これにより製品は青灰色、灰黒色になります。
釉薬は使いませんが、焼成中に降りかかった灰が熔けて自然釉の役割を果たすことが多く、独特の美しさが出たりすることがあります。

まあ、ムズカしい説明になっちゃいましたが、要は珠洲焼は黒っぽい色をしてるのが特徴です。
鮮やかな色彩や派手さはありませんが、渋く落ち着いた美しさがあります。
まあ、このへん美しいと感じるかどうかは個人差があるとは思いますが(笑)。

器の表面には形成の時に生じる右下がりの叩き目や綾杉文、櫛目波状文、各種の刻文や刻印などが施されています。
そういうのも、素朴な味わいがあるような、ないような。

甕や、壷、鉢などの日用品が多く焼かれていましたが、その他に経筒や仏神像、水瓶などの宗教儀礼に使うものや、魚網のオモリなど、いろいろなものが作られていたようです。

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珠洲焼の現在

今回は現在の珠洲焼について。

15世紀末に廃絶した珠洲焼きですが、近年復活しています。
窯や作成工程は近代化されていますが、やっていることは同じであり、作品としてはしっかり再現されているのではないかと思います。
最初は少数だった陶工の方たちも、最近ではかなり増えていますし、それなりに盛んになっている様子です。

昔と同じく、甕、壷、鉢なども作られていますが、そのほか、花器、酒器(徳利、ぐい飲み、お猪口)、湯呑、茶器(抹茶碗、茶入れ、急須)、ビアカップ、コーヒーカップ、皿、水差し、箸置き、灰皿などいろいろなものが作られています。
美術工芸品としての側面もありますが、実用品としても作られているわけです。
まあ、原価がかなりかかるため、正直実用品としては高価な感じになりますが、なかなか趣があっていいですよ。

ちなみに↓は、私が中学生くらいから愛用しているご飯茶碗です。
叔父さんが焼いてくれたもので、お気に入りでした。
とはいえ、最近はこれじゃ足りず、どんぶりでご飯を食べちゃったりしてますが、それでも時々使ってます。
一般的には、ビアジョッキが評判いいようです。
泡が細かくなって口当たりが良くなるということで。

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ちなみに、珠洲市には珠洲焼に関する施設がいくつかあります。

●珠洲焼資料館
歴史的な古陶などいろいろ展示されています。

●珠洲焼館
現在活動中の陶工の方たちの作品が販売されています。

●珠洲市陶芸センター
珠洲焼作家になるための研修が行われています。
また、陶芸教室で焼き物体験もできるようです。

その他にも、珠洲焼を体験できる窯元がいくつかあるようですし、興味のある方は1度体験してみるのもおもしろいかもしれませんね。


窯作製の予定地の草刈り

本日午後1時過ぎより焼成実験の窯作製予定地の草刈りをしました。
今回は私を含め7人参加。
それぞれ草刈り機を持ち寄って作業しました。
予定の時間の直前に強めの雨が降ったため、作業できるか心配されましたが、何とか上がってくれて作業開始。

この場所は、ちょっとした谷間みたいな立地なのですが、数年前とある事業のために、ダンプの通り道になっていたところ。
作業用に本来の谷に土を盛った場所です。
数年前は舗装されてはいなかったとはいえ道だった場所ですが、全く見る影もなくなっており、草刈りというよりは開墾って感じでした。
また、マナーの悪い人はどこにでもいるようで粗大ごみなんかも捨ててあったりして作業しにくかったりしました。

それでも皆の努力のかいあって午後4時過ぎにはなんとか作業終了。
あまりこういう作業はしたことなかったので、今回参加した人間の中では私が一番若かったんですけど、一番働きが悪かったかも…(汗)。
まあ、それでもいないよりは良かったでしょう。

てなわけで、とりあえず実験の第1歩が踏み出されました。


こんな状態から
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みんなで作業
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なんとか刈り込み終了
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窯作製の予定地の整地作業

本日は窯作製の予定地の整地作業が行われました。
とはいえ、今回行われたのは重機による整地作業。
別に何か手伝ったってわけじゃありません。

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前日刈り取った草や木を端に寄せてもらい、その後予定の場所を少しだけ削り均してもらいました。
前日も書きましたが、この場所は元はダンプの通り道で土を盛ったところであり、そのためいい感じになだらかな斜面になっていて、角度的には無理のない理想的な立地だったようです。

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午後からは斜面の角度を測ってみたり、予定の位置なんかを大まかに決めたりしましたが、本日の作業はそこまで。
できるようなら窯作成の場所を手作業で本格的に整地するという予定もあったようですが、いかんせん3人しか集まらなかったこともあり、続きは来週ということに。

実は来週は都合により私は参加できないので、ちょっと残念だったりも。
正直来週の作業が一番面白そうだと思っているので…。
絵的にも窯が徐々に形作られていくのは見ごたえありそうですし、ブログに載せることを考えても1番の見所になりそうですしね。
ホント残念!

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時間も余ったのでちょっと窯に使用する砂の下見に。
窯は、粘土と砂と藁を混ぜて作る予定ですが、砂はまだ入手先が決まっていないとのこと。
今回見てきたところの砂は、どうもイマイチみたいで、別のを探さなければならないようでした。
耐火度や粘り気だとかいろいろ難しいようです。
しかし、早ければ来週には必要となるだけにちょっと心配。
大丈夫だろうか?

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実験のモデル

一番最初の記事で実験の大まかな概要みたいなものは書きましたが、もう少し詳しく説明してみたいと思います。

繰り返しになりますが、今回の実験の概要は、
●既に発掘されている珠洲古窯のデータを基に、当時の窯の姿を推察し、復元する。
●そんで、その復元した窯で焼成を行ってみる。
というもの。

モデルとなる窯跡は、『寺家クロバタケ3号窯』 。
現在、珠洲焼の窯跡は40数基ほど見つかっています。
その中で、発掘済みのものは、まだ数基らしいです。
『寺家クロバタケ3号窯』 は、これまで発掘されたものの中で1番小さいサイズの窯です。
まあ、まずは手始めに1番小さいのをって感じですが、それでもこのタイプでこの大きさの窯の復元は全国的にも初めてとのこと。
正に未知のことなので、その成功は難しいとの声も多く聞こえますが、それゆえ面白みもあります(笑)。

>>>寺家クロバタケ3号窯発掘写真(珠洲焼資料館HP)
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寺家クロバタケ3号窯

今回は実験のモデルになる 『寺家クロバタケ3号窯』 を、ちょっとだけ詳しく説明したりなんかします。
まあ、ほんのちょっとですが。

この窯の調査結果は次の通り。

●形式:単室無段地上式窖窯
●推定全長:8.5m
●最大幅(焼成室内):1.9m
●焼成室傾斜角:約12度
          (珠洲古窯研究会HPより)

単室無段地上式窖窯って難しくてわかりにくいですが、要は窯内は段状になっておらず、緩やかな傾斜の上に一つながりなっているということ。
そして、地面に掘り込んである形、つまり、半地下や全地下という形ではなく、地面にドーム状の窯が形成されていたってことです。
こういう地面に直接って窯は、まだ再現されたことはないそうです。

発掘された窯内の地面には、珠洲焼のカケラがしかれており、石材等を使用した痕跡はないとのこと。
再現する窯も、そういうスタイルになるようです。

また、こういう窯は使用するごとに劣化していき、崩落したら廃棄していたようで、そのためこの窯で最後に焼こうとしていた品物も出土したようです。
その状態を見ると、窯最深部にも大きな甕(カメ)も並べてあったようで、その事実から、窯は奥まで広いドーム状だったと推察されています。

壁材的なものは、ほとんど出土されておらず、現在のところ何が使われていたかあまりわかっていないとのこと。
どうやら、崩落した壁材は次の窯造りか何かに再利用されていたようです。
このへんの材料の選択も、実験の成否を左右しそうで重要そうです。
まあ、そのへんの選択は学芸員さんはじめ主要スタッフが決めることなので、とりあえず注目といったところですが。

てなわけで、 『寺家クロバタケ3号窯』 のデータはこんな感じ。
地面の状態はけっこうわかっているようですが、窯の材質・形状・作成方法は未だわかっていない状態ですね。
さあ、果たして成功するのかどうか。
楽しみです(笑)。

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作製する窯の構造①

実験で作製する窯は、とりあえず 『鉢ヶ崎1号窯』 と命名されてるようです。
今回は、その 『鉢ヶ崎1号窯』 の大まかな構造を書いてみたいと思います。

窯の外側の大きさは、縦幅9.5mくらい、横幅3mくらいになる予定。
焼成室内の広さは縦は7.5mくらい、横は1番広い所で2mくらいですね。

1番奥に煙を逃がす穴が開いていますが、これの形ついては推測の域を出ていないようです。
『寺家クロバタケ3号窯』 の発掘ではその痕跡は発見されておらず、また、その他の窯跡でも見つかっていないため、実際の形状は現時点では不明なのです。
ただし、この当時上に伸びる煙突的なものは、まだなかったとのこと。
最終的に↓の図のような形になるかは、はっきりとは決まってない様子ですが、もしこのような形になるにしても、『寺家クロバタケ3号窯』 では、焼成室の床面から直接延びる溝状のものは見付かっておらず、焼成室の床面からは1段上がった形で付けられるようです。

んで、今回はここまで。
次回は、側面図等紹介したいと思います。

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